只今強制休暇中

代筆・b-chocobo




3月18日
9時頃。入浴後。
右手の動きがおかしくなり、呂律が回らなくなる。自分で歩くことは出来るが、これは危ない、と妻が119へ電話。
妻の運転する車で病院へ行き、そのまま入院。




3月19日
診断は脳梗塞。左脳に腫れ物が出来ているため、上半身右側に麻痺が起こったらしい。しばらくは腫れが広がる可能性があるため、一週間から10日は様子を見て、その後にリハビリを介しするとのこと。
どろどろの食事が出る。見た目だけで食べる気をなくした。そのため、あまり食べられなかった。




3月20日
舌を動かす練習のため、以下のような文を渡される。

ひろい ブルーに 澄んだ 空のむこう
はるか 遠くの 山に 薄く 霞が かかっている。
妻をふりかえって 「もう春だね」 と 私はいった。
春というには まだ ちょっと うすら寒いが
この 小川の 岸辺にも みどりの 草が 芽を出し
ネコヤナギが 銀色に 輝きはじめている。
やっぱり 春だ。 桜の 花が 咲くのも 近いだろう。

一体何の引用かは解らないが、妹の話では発音しにくい音が多くなっているらしい。
動くことはできるが、頭を上げてはいけないと言われ、45度の角度までしか身を起こせず、その状態で食事をするのは実に食べにくい。




3月21日
病院で迎えた誕生日。
食事が、普通のモノを細かく切って、爪楊枝で刺したものに変わった。普通の食事のありがたさがよくわかった。どろどろの食事はもう二度と食べたくはない。
串刺しの食事のおかげで食べる量が一気に増えた。




3月22日
血液検査の結果が出た。
…が、見ても意味がよくわからない。
Tomさんから励ましのお便りが来たのを印刷して持ってきてくれた。
Tomさんの心遣いに感謝。
頭を持ち上げていい角度が90度までになった。45度のときとくらべて格段に食べやすくなった。




3月23日
強制休暇とも受け取れる、今までと180度違う生活。
2種類の生活を味わえるなど贅沢かも知れない。しかし、待ちかまえているのは、今まで好きだったタバコや肉抜きの生活。
だが、それもいいかもしれない。
口に入れるものだけが人生ではない。
開き直りかも知れないが、生活習慣病なんて、そうでもしなければ治しようもない。開き直りで結構。前向きに考えよう。




3月24日
CT、MRI等の検査の結果、首のところにある、脳へ行く太い動脈の片方が詰まっていることが判明した。
これまでのものから、治療方針を切り替える。
当初の予定よりも入院が長引くことになるという。




3月25日
高圧酸素療法というものを試した。
気密したタンク内で、酸素の圧力を大気圧以上に上げ酸素を吸入させる。これによって、血液中に多量の酸素が溶解し身体のすみずみまで酸素を行き渡らせ、各種の低酸素状態を治療する…と、病院でもらった説明のプリントに書いてあった。
そのタンクというのは、カプセル状をしていて、外壁はだいたい透明。外が見える。始めは徐々に加圧していき、終わるときには徐々に減圧していく…深海に潜るときのようだ。見たところ、アメリカ製らしい。
これから、毎日一回、加圧減圧の時間を含めて80分ほどをこのタンクで過ごすことになる。テレビを見られる分、病室よりは退屈しないかも知れない。
病室で過ごす時間はひたすらヒマで、時計が止まっているではないかと感じられるほどだ。




3月26日
高圧酸素療法2回目。やったあと、右手が1ミリか2ミリ動くようになったようだ。間違ったら効果があるかも知れない。食事は普通に摂って良いと言われた。




3月27日
今朝早くCTスキャンをやった。結果はまだわからない。
高圧酸素療法3回目。やはりこれをやった後は耳が変になる。午後1時ごろやったが、2時間ほどしてようやく耳が治ってきた。これをするときの楽しみは、やってるときにぺろぺろキャンディーがもらえることだ。今日はメロン味だった。




3月28日
高圧酸素療法4回目。だいぶ慣れてきて、加圧のときの耳鳴りはなかった。が、減圧の時は相変わらずひどい。
リハビリ科の人が何回もやってきては様子を見ていく。どうも、そろそろ始めても良さそうだと思っている様子。だが、点滴がはずれないと本格的にリハビリをやれないため様子見だ。




3月29日
減圧の時、聞こえにくくなるが、慣れのためそう怖くもなくなった。
文明の利器…主にパソコン…がないのが辛い。電磁波を出すので病院にはさすがに持ち込めないため、この記録も手書きで書いたのを代筆してもらっている状態である。
長いことベッドにいたため足の筋力が弱くなった。
心電図なのかなにかよくわからない波形の紙が枕元にあった。




3月30日
本日は日曜につき、治療も検査もお休み。
病室にラジオが入荷。文明の利器のありがたみを実感した。
ただし、耳掛け式のヘッドホンは少々使いにくかった。これもリハビリの一環と考えよう。




3月31日
先生と話をして、血管の詰まり方によっては手術をすると言われた。一ヶ月ほど今の治療を続け、進展がなければ手術になる。




4月1日
1クール(7回)の高圧酸素療法が終わり、もう1クール続けることに。
院長さんの回診があって、「右手上げて、あがるね、よし」みたいなことを言われた。なかなかおもしろい人のようだ。




4月2日
MRIをやった。結果はまだだが、何か進展があれば教えてくれるだろう。今日のMRIは体温計を付けたまま入ってしまい、上半身だけだからよかったものの、体温計を挟んであったお腹の方まで入ったらどうなったのかはわからない。




4月3日
CTスキャンの一種で何かのガスを使う検査をやった。口にマスクを付けて密封し、さらに顔面全体にラグビーの面みたいなモノを付けて、まわりをテープで何重にも貼った状態でガスを吸入させて血の流れを調べる検査だった。ものすごく安っぽい酒のような、とにかく不快な臭いのガスだった。しばらく気持ち悪くなって夕食は食べられなかった。幻聴なのか、検査の係の人の声が八百屋仲間の声に聞こえた。自分が不安な状態にいたためかもしれない。




4月4日
午前中、高圧酸素療法をした。昨日の検査の影響が多少残っていて、少し気分が悪い。昨日の検査の結果はまだわからない。
4時半は夕飯が終わってしまうと、明日の8時まで何もすることがない。食事の味付けにも文句を言いたい。何も味を付けずに素材そのままなら文句も言わないが、半端に変な味が付いているためまずくて食べにくい。
今日はこち亀の134巻を持ってきてもらったが、なかなか読み進まない。
ヒマである。




4月5日
今日から血圧の錠剤が一つ増えた。点滴でなく錠剤で血圧を調整する段階に入ったのだろうと勝手に推測している。
枕元にテレビを持ってきてもらった。EIZOの製品を使っている。生意気にも(笑)。液晶モニタなだけに映りはいまいちだった。




4月7日
今日からリハビリ開始。リハビリの先生が全体的にやる気のない人が多いが、担当の人は厳しく指導に当たってくれる。
手を握るよりも開く練習を重視した方が良いらしい。




4月8日
普通のCTをやったが、やっぱり結果は教えてもらえない。変化なし、か?




4月9日
3週間ぶりに風呂に入った。すごいアカだった。まだ落ちきっていない。週に一度は入らないときれいになりきらないらしい。
意外に長く入らせてくれた。もちろん血圧の上がらないように熱い風呂というわけにはいかないが。明日はまた、ガスを使った検査をやる。前回は失敗だったらしい。無意識のうちにあばれたのでうまくいかなかったようだ。
検査のため絶食。検査で気分が悪くなったら、明日はリハビリが出来ないかも知れない。




4月10日
先生の都合により検査中止。
先生はどうやら、他の用事ができたらしい。その用事のついでに食べた生牡蠣で腹痛になったとか。
医者の不養生というより、医者の不用心。こんな季節に生牡蠣はどうかと思う。




4月11日
初めて自分の部屋の窓際まで歩いていってそこの景色を見た。
自室のみでなく、廊下まで出て行って、病院の東西南の景色まで制覇したが、北側の景色を見るにはナースセンターを突破しなければならないため断念。あまり歩き回っていると、どこに行くのかと連れ戻される可能性があるのだ。
先生の持っていたノートパソコンで自分のホームページを久しぶりに見た。時間で料金がかかるらしく、ろくに見られなかったが。




4月12日
リハビリで、なんとかはさみで紙が切れるようになった。また、2、3メートルの距離から投げられたお手玉を受け止めることができるようになった。
正常に動けば簡単だが、今の状態ではなかなか難しい。




4月13日
今日は日曜なのでリハビリは休みだった。
八百屋仲間の229さんがご夫婦でお見舞いに来てくれた。かつて今の自分と同じ病気になって、今は元気に仕事をしている人だ。色々と参考になる話を聞くことが出来た。




4月14日
朝8時から飲み食いなしで過ごす。早く検査を始めてくれればいいのに3時過ぎにようやく検査をやった。相変わらずの厳重な密封を行って、ガスを吸入させられた。今回は動かないように薬を使った。
現在午後5時頃だが、検査の開始が遅かったせいでノドが渇いてしょうがない。検査の影響で気分が悪く、もう少ししないと物を食べたり飲んだりが出来そうにない。いやな看護婦がいるときに気分が悪いというのが最悪だ。
お茶をたくさん飲んで、血液をいかに良い状態にするかが、この病気には重要らしいが、お茶の飲み過ぎで尿が多く出て、飲むより出す方が多いくらいだ。今度はお茶だけでなく、湯冷ましも飲んだ方が良いだろうと言われたが、もう少し早く言ってほしかった。




4月15日
今日は朝8時に朝ご飯を食べて、それからすぐに風呂に入った。そして、11時からリハビリをして、もどってきたらすぐに昼飯になった。昨日のXenonガスの影響か、安定剤の影響か、妙に忙しく感じた。




4月16日
仕事以外の友人がご夫婦で見舞いに来てくれた。この人は、うちの店の看板を作ってくれた人で、それを見てもわかるように器用な人である。今回も手みやげに風見鶏…?を持ってきてくれた。正式名称不明だが、羽の部分が風車になっているやつだ。ベッドサイドに飾ってある。




4月17日
ペットボトルくらいのものを持って、両手を前に出して水平に伸ばしたまま歩く訓練や、細長い物を穴に入れる訓練をしている。けっこう右手で物が掴めるようになってきた。




4月18日
寛太くんの両親である、ヒロミツくんとトモカちゃんがお見舞いに来てくれた。
検査の結果を教えられた。それによると、今のままでは、血管を広げる手術がいるらしい。この後の病状の変化によるだろうが、手術するとなったら、やる気でいる。
それから、夜6時頃、Tomさんが見舞いに来てくれた。
感謝。




4月19日
先生が休みのため本日のリハビリはお休み。風が強い。
今の状態はいちおう安定しているらしく、いったん退院してもいいと言われた。手術するのならとっととやってほしいのだが、予定が詰まっているのだろうか。それとも、自分が仕事にもどりたがっているように見えたのかもしれない。しかし、退院は拒否した。いちおうの退院をして家族に気を遣われるよりも病院でリハビリに専念したいと考えたのだ。病院側は金がかからないようにいろいろ考えてくれているらしい。




4月21日
点滴が完璧に外れた。手が自由になって嬉しい。しかし、ずっと点滴を付けていたせいで腕の真ん中あたりがしびれた感じになっていた。しびれはだんだん取れてきているから問題はないだろう。
あらやの親戚が見舞いに来た。




4月22日
今日は世界一の果物屋・杉山フルーツが見舞いに来てくれた。本格的に検査して、健康診断をやった方がよいと勧めた。
他にも、親戚の渡辺伸一さんが来てくれた。この人は39の時に同じ病状で倒れた人だが、今ではほぼ完治している。
驚いたことに院長先生が訪ねてきた。どうやら母に「息子をよろしく」とさんざん言われたらしい。母は、この病院に通院しているのでそのときに言ったのだろう。院長先生にちゃんとやりますよ、と言ってもらえると、手心を加えてもらうとかそういう意味でなく、精神的に安心感がある。




4月23日
右手の人差し指と親指で洗濯ばさみが掴めるようになった。少し疲れると掴めなくなってしまうのだが、だんだん握力がもどってきている。持続力も付けなければ。あわてずにがんばろう。




入院中にデジカメで撮影した写真





4月25日
二回目のあらやの登場。普段は悪口雑言の対象ではあるが、暇な今にはありがたい。
今のところ、今後の予定がわからず焦っている。手術するなら早く終わらせたい。
左手が点滴の後でしびれが残っていたが、それが完全に治った。点滴の跡があざになっているが、消えるまでだいぶかかるらしい。




4月26日
右手は、まだ感覚が少々薄いがだんだん握力が付いてきた。
人差し指と親指の力を付ける訓練を重点的にやっている。
昨日から2リットル以上も水や茶ょ飲んでいる。たくさん飲まなければならないのでこれでいいのだろう。




4月27日
母が見舞いに来た。
言いたくなかったが、5月20日に手術が決定したと教えた。案の定うろたえてくれた。なだめるのに一苦労だった。




4月28日
同室の患者4人がそろって退院した。一人取り残されるが、午後になってまた一人入ってきたので今は2人である。
選別に柏餅をもらって食べたが、あまりおいしくなかった。




4月29日
表まで遊びに行ったら、患者さんらしき若い人が、見舞いに来たらしき人とタバコを吸っていた。だが、これまでの自分の素行を考えるとそれに対して批判することは出来ない。




4月30日
手術の日程…20日が8日になった。
しかし、それを知らせに来た先生は、8日を「はちにち」と言っていたので、20日の「はつか」と間違えたのではないかとちょっと心配になったが、「8日(ようか)ですか」、と聞き質すと、「そうです」との返事だったので間違いはなさそうだ。何にせよ、早めに終わるならばいい。
手のリハビリもだいぶ進んできて、毎日、前の日に出来なかったことが出来るようになってきている。昨日はパチンコ玉(安田会館)を掴めなかったが、今日は掴めるようになった。…それにしてもあのパチンコ玉の入手経路はどういったものだったのだろうか…。




5月2日
元気な病人が同室になった。今日入院して、6日に手術して、一週間後に退院するつもりで、自分で車を運転してきたらしい。
よくしゃべる人で、こういう人がいてくれると気が楽になっていい。
手術の日はやはり8日で決定らしい。なんでも、その手術のベテランの先生を遠方から呼んでくると言っていた。5日に説明があるらしい。




5月5日
売り子の小林夫妻がお見舞いにきてくれた。




5月6日
商協の新理事長の市川さんがやはり夫婦できてくれた。




5月7日
明日手術なのでお風呂へ入って検査もMRIとCTと採血、採尿などを
やった。一応。明日がんばるつもり。現状では最高の環境で手術ができるのだから安心だ。が、やはり怖いという気持ちはぬぐいきれない。
血液が薄くなっているためか、止血をきっちりしないと血が止まらない。点滴のとき、看護婦さんに血管を縫われた。細かい仕事の出来ない看護婦というのは怖いものがある。




5月8日
2時間半遅れで3時半に手術室に入った。6時半に終了。
始めから最後まで意識があった。足の動脈から入れた管の出入りがよくわかった。最後に管を抜くときに一番先端部分が痛かった。両足から入れたので二人の先生が各一本ずつ止血してくれた。やはり遠方から来てくれた先生の方が上手だった。しかし、患者の頭の上で、傷口を縫う「糸が足りない」けどまあいいか、みたいな会話が。
とても楽しい手術だった。
まさか脳外科の手術で最初から最後まで意識があるとは思わなかった。




5月9日
術後なので一日(いちおう)おとなしくしていました。




5月10日
A05という古巣にもどってきた。今はまだ一人で歩いては活けないということだ。
足の甲に×印が。血流とか血圧を見るのに手で押さえる部分らしい。詳細不明。
手術をしたところの周辺、首の左側部分が痛い感じ。口の中も痛い。異物が入っているのがわかる。慣れるまでしばらくかかりそうだ。




5月11日
豊ちゃん夫婦が見舞いに来てくれた。術後なのにあまりに元気なので驚いていた。手土産にお菓子の詰め合わせと週刊アスキーを持ってきてくれた。
お菓子はそうそう食べられないが、雑誌は、退屈していたので嬉しい贈り物だった。




5月14日
50年来の幼なじみが来てくれた嬉しかった。
それから、看板の制作者が再び来てくれた。
八百屋仲間の128と450が来てくれた。この二人は「脳梗塞の予備軍だから気を付けろ」と言ってやった。




5月15日
昼に点滴が外れて入浴の許可が出た。それは嬉しかったのだが、ゼノン検査を再びやる、と言われてしまった。できればキャンセルしたいところだ。
今日のリハビリは腕立て伏せだった。腹をつきながらもどうにか10回できた。筋肉痛になりそうだ。
どうにか字が書けるようになってきた。




5月17日
みんなを代表して186と商協の事務長の二人が来てくれた。
618が息子と二人で来てくれた。




5月18日
仲卸の030が来た。まさかとは思ったが来てくれて嬉しかった。




5月19日
ダイナミックCTという検査をやった。造影剤を入れてやるものだ。点滴の代わりにでっかい注射器みたいな物で薬を入れるのだが、そのときに体が熱くなる。やはり検査は体に悪い。
明日は先生の津語う゛て急遽ゼノン検査をやることになった。
右手の、親指と他の指で物を掴む力をつける訓練をしている。まだ字を書くのに苦労するが、鉛筆が持てるようになっただけ進歩した。




5月20日
Xe(ゼノン)検査、無事終了。
今までと違って、99%意識があるうちに終わった。最後のところで少し意識がとんだ。終わったときに先生の顔が見えたので、「うまくいきましたか」と聞いた。そうしたらうまくいったとの返事だったのでほっとした。やり直しはごめんだ。
今日は、富士中央青果の社長と大石さんと353が来てくれた。まさか社長が来てくれるとは思わなかった。というのが正直な感想。




5月21日
今日は9時からリハビリをやって、風呂にも入った。
なんだか非常にだるい。しゃべり方も、なんだか眠たいような口調になってしまう。検査が続いて疲れが溜まっているのかも知れない。
検査の結果次第で次の手術のあるなしが決まるので、早く結果が知りたい。だが、今日は先生がいないため、聞くことができない。心配だ。




5月22日
稲葉里江さんが見舞いに来てくれた。




5月23日
渡井君の奥さんが見舞いに来た。彼女に、入院を知られてしまったルートは、他の人に比べて長距離であった。
どういうものかというと、アメリカのミシシッピから渡井君が我が家に電話をかけてきて、そこで母が電話に出て入院していることを知らせた。そして、アメリカから富士宮の奥さんのところに電話して、入院の事実を知らせた。そういうわけで奥さんが見舞いに来てくれた、というわけだ。
渡井君はアメリカから9月にもどってくるので、それ以後でないと本人には会えない。




5月24日
稲葉里江さんが二度目のお見舞いに来てくれた。
看板の制作者であるレコード屋さんが、カセットデッキとテープを持ってきてくれた。以下のような手紙が添えられていた。

1、無印カセット曲当てクイズ
 全曲正解・世界2周の旅
 全曲不正解・伊豆長岡7泊2日の旅
解答は後日 全世界が注目するなか 堂々発表!

2、落語のテープ
 あなたも落語通になろう
 退院後 試験があるので
 心して聞くように

3、小林旭のテープ

 小林旭のすべてが わかる
 これも 退院後 簡単な試験があります
 注意して 聞いて自分の教養の一部に
 してください


本当に有り難い友人を持ったものだ。




5月25日
仲人夫婦が来てくれた。そして、妻のいとこ二人と、妻の母が来てくれた。
それから、幼なじみも見舞いに来てくれた。
さらに、近藤接骨院ご夫婦も来てくれた。




5月26日
緩衝材のプチプチがつぶせないので、半日をいらいらして過ごした。力でなく、コツがいるらしく、うまくいかない。自然に指が覚えているものがあったのだろう。
食事の時、右手でスプーンを使って食べるようにしている。以前はそれやるとこぼしてしまったのだが、今はなんとかこぼさずに食べることが出来る。これを続ければハシで食べられるようになるだろう。




5月27日
久保田としはる、さらに、稲葉ゆみこ、ナオノリも来てくれた。




5月28日
父の妹とその娘が来てくれた。




5月29日
新しく担当になった先生から話があって、血管のバイパス手術を、やはりやらなければならないという。前の手術から1ヶ月経過しなければ次の手術はできないので6月8日以降になる。もう少ししないと詳しい予定が立たないらしい。病院が混んできているので先生達も忙しく、どういうスケジュールになるかわからない。
今日の夕飯はこんなものだった。




5月31日
レコード屋さんが来て落語のテープをどっさり置いていった。
落語のレコードからテープに録音したものと思われる。古典落語などは結構知っている話がある。ずっと聞いていた。




6月1日
妹と母が来た。




6月2日
ゼノン検査の日が9日に決定。この検査の結果で手術をやるやらないが決まるらしい。今回担当になった先生は、前回の手術で良い結果が出て当然なんだからもう一度検査をしよう、という口ぶりで、次の手術はやりたくないという感じだった。




6月3日
気分が落ち込んできている。
手術をやるかやらないかはっきりしてほしい。前回の手術の結果はかなり良いのでやらなくても良いと言われたり、またやらなければと言われたり、どっちなのかまったくわからない。




6月4日
ひさしぶりに子供に3人そろって見舞いに来られてしまった。(粉薬を飲んでいるときに笑わせるのはやめてくれ)
元同室の後藤さんが、退院後初めて見舞いに来てくれた。そして、これからのリハビリについて有力な情報をくれた。
仁藤さんが来て、日本の歌のテープをどっさりと置いていってくれた。




6月5日
6人部屋が6人入って満員になった。ベッドが一台欠けていたのも補充された。
最後に入った人は、昨日の朝10時に手術を始めて、3時に終わって集中治療室に10時間いただけで大部屋に来た。手術といってもこんなものなのか、安心した。
頭蓋骨に穴をあけてそこに皮を張ってあるだけなのの状態だというので驚いた。




6月6日
徳間から2人来てくれた。
検査の日が10日になった。月曜にやれるとは思っていなかったが、6月10日というのがいやだ。




6月7日
元同室の人が外来で来て、合って話をした。この人は、物が揺れて見えるという症状らしい。
今日は風呂に入って、タオルが足りなくなったのに、持ってくるのを忘れられた。




6月8日
毎週恒例。母と妹が来てくれた。




6月9日
赤池君夫婦が来てくれた。パソコンの調子はとりあえず良いようだ。
明日の検査、いやだなぁ・・・。




6月10日
ゼノン検査をした。
だが、失敗してしまった。
鎮静剤を使って行ったのは前と同じなのに、同じ条件で失敗するのが、担当の先生が変わったせいではないかと思えて少々不信感が出てきた。
また一週間後に再検査するらしい。悪く言えば一週間無駄に過ごす羽目になったわけだ。今度は麻酔を使うと言ってきた。
検査後はやはり口の動きが悪くなる。検査で症状が悪化するのも不安をあおる。
どうあっても検査の結果を「退院しても大丈夫」というものにしたがっているような感じがしている。担当医が変わると治療方針が変わるのがイヤである。どうすればいいのかはっきりさせてほしい。




6月11日
仁藤さんが来て、かなり長い間話し相手になってくれた。そのついでにおもしろい本も持ってきてくれた。




6月12日
同室の人が明日手術をすることになっている。
なにもしてやれないががんばってほしい。




6月17日
ゼノン検査をやった。完璧に麻酔をされて眠っていたので非常にうまくいった。




6月18日
青色申告会の事務長と事務員さんが来てくれた。
定休日なので仁藤さんが来てくれた。




6月19日
スギキヨさんが来てくれた。




6月21日
退院。